| <〜「怪物」と呼ばれた3冠馬〜1994年> さて、話を戻そう。
1993年の有馬記念の「トウカイテイオー涙の復活劇」ですっかり競馬にハマってしまった私であるが、1994年はビワハヤヒデの弟「ナリタブライアン」が競馬界の話題とタイトルを総ナメにした。時は6月、ブライアンは皐月賞で圧倒的な強さを見せ、ダービーも敵無しと世間では見られていたが、私にはどうも納得がいかなかった。競馬だけではなくスポーツ全体に言えることであるが、結果がわかるような戦いほどつまらないものはない。V9時代の巨人やサッカーのレアル・マドリードや全盛期のサンプラスなどは実力が跳び抜けており、優勝するのが当たり前であった。「強きを憎み、弱きを助ける」ではないが、どうしても強すぎるものに対しては、それより弱いものを応援したくなる。 しかし、私は「番狂わせ」も嫌いである。実力を伴った強さ。即ち、No.2やNo.3に勝ってほしいのである。いや、勝たなくてもNo.1を脅かすほどの強さを見せて、頂上決戦を見応えのあるものにしてほしいのである。 頂点を目指す者は複数である方が断然面白い。これを私の中では『強者複数の原理』と呼んでいる。プロレス界ではこれがある程度作為的に行われており、また、テニス界でもサンプラス、グラフの一強時代から誰が優勝するかわからない戦国時代へと移行している。対して、競馬界は混沌とした過程を歩んできた。確かに、ナリタブライアン、テイエムオペラオーが全盛期の頃は、彼らが負ける姿を想像できなかった。しかし、競馬には「絶対」は無い。そして、競馬には「怪我」が付きものである。後で詳しく述べるが、怪我に泣いた「幻の最強馬」は数限りない.. ダービーを目前にして、私はきっと「怪物」と呼ばれるブライアンに対抗できる馬がいることを信じた。そして、現実にいた。圧倒的な強さで連勝街道をひた走るナムラコクオーという馬が。ビワハヤヒデの弟ということでブライアンばかりが目立っていたが、ナムラコクオーの実力はブライアンに匹敵するものだと確信していた。勿論、馬券はコクオー流しである。 しかし、レースでは残念なことに距離が長かったのか、展開が合わなかったのかいつものコクオーの爆発力が不発で6着という残念な結果に終わってしまった。ブライアンはこれを快勝し、ますます強さに磨きがかかったが、コクオーはこの時から勝利に恵まれなくなってしまった。たった一度のレースを機会に勝てなくなってしまう馬も多い。 一方、ブライアンの兄のビワハヤヒデは天皇賞(春)、宝塚記念と征し、古馬最強の座に君臨していた。そして、クラシックを圧倒的な強さで3冠を達成したブライアンとの兄弟対決が世間の注目を浴びた。しかし、東京2000mの天皇賞(秋)のレース中にビワハヤヒデ、そしてウィニングチケット共に屈腱炎を発病し引退を余儀なくされた。残念なことである。 サラブレットというものは繊細で、近年パンパンの芝でレースが行われることが多くなり、調教も目一杯仕上げる為に、故障や体調不良で休養を余儀なくされる場合が増えてきている。逆にそれだけ限界まで仕上げないと、大レースには勝てなくなってきているのかも知れない。 ちなみにこの天皇賞(秋)は「魔物が棲んでいる」と言われる。1番人気がどうしても不慮のアクシデントなどで勝てないのである。メジロマックイーン、トウカイテイオー、オグリキャップ、ナリタブライアン、サクラローレル、テイエムオペラオー、バブルガムフェロー、セイウンスカイ等の名だたる強者達が敗れている鬼門のレースなのである。 そしてこの年、牝馬で注目を浴びた馬がいた。牡馬顔負けの勝負根性で数々の重賞を総ナメにしたヒシアマゾンである。秋のエリザベス女王杯もオークス馬・チョウカイキャロルとの壮絶な叩き合いをハナ差で征し、牝馬には敵無しであることを証明した。 暮れの有馬記念ではナリタブライアンの2着に入り、牝馬で連帯という快挙を達成した。この有馬を象徴するように、この年は3歳馬のブライアン、アマゾンの年であったと言っても過言ではない。 <〜淀に咲いて淀に散った馬〜1995年> 1995年、ブライアンは長い休養に入り、古馬戦線が混沌としてきた中で復活に賭ける馬がいた。ミホノブルボンの3冠を阻んだライスシャワーである。2年前には、メジロマックイーンの天皇賞(春)3連覇の野望を打ち砕き、鞍上の的場と共に「マーク屋」と呼ばれていた。 そして1995年の京都3200mで行われる天皇賞(春)。2年間勝ち鞍がないライスシャワーは4番人気と低迷したが、ブルボン、マックイーンを下した得意の京都コースで早目に先頭に立つと、ステージチャンプの強襲をハナ差振り切り、見事2年ぶりに復活を果たしたのである。数々の偉業を阻んだ「憎まれ役」が、初めて大歓声の中で勝利の美酒に酔いしれた瞬間だった。 しかし、悲劇は起こった!? 次走の宝塚記念では得意の京都コースで行われ、1番人気となりファンの支持を集めた。京都コースは3コーナーで下りがあり、ここで上手く加速し上位進出できれば4コーナーで有利なポジションが取れる。小柄で器用さを兼ね備えたライスには打ってつけのコースであった。そして、誰もが注目する3コーナーの下り。一瞬按上の的場の姿が消えたかと思うと、次の瞬間、そこには寝転がり激痛にもがくライスの姿があった.. 「骨折」... 誰もが目を覆いたくなるような光景だった。まもなく「安楽死」の処置が取られ、ここに「淀に咲いて淀に散った」ライスシャワーの生涯がはかなくも突然に幕を閉じた。馬場の状態がかなり良くなってきた今日、レース中に故障をすることは良くあることであるが、このようにサラブレットが激痛でもがく姿は見たことが無かった。ライスシャワーの勇姿は今でも私の心の中で生き続けている。 さてこの年の秋に、前年他馬を寄せ付けない強さで有馬記念を征し、その後休養に入っていたナリタブライアンは復帰したが、天皇賞(秋)、ジャパンカップとかつての豪脚が出ないまま不本意な成績が続いていた。私は前述したように強いが結果が出ないNo2やNo3の馬をつい応援したくなる。この頃、強烈な末脚を持っているが結果が伴わないサクラチトセオーという馬をいつも応援していた。そしてついにその願いが通じる。天皇賞(秋)で得意の直線一気の追込みを見せ悲願のGIを達成したのである。彼は脚質が決まっている為、展開に左右され易いが、他馬をゴボウ抜きする直線の爆発力が好きだった。 一方、3歳馬では皐月賞を征したジェニュインがダービー、天皇賞(秋)で2着に入り中距離界で頭角を出したが、ダービーを征したタヤスツヨシは秋に入ってから成績が振るわなかった。私は彼は早熟であったように思う。そして菊花賞では牝馬でありながら「勝算あり」と判断したオークス馬・ダンスパートナーが果敢に挑戦したが、やはり牡馬の壁は厚く5着に甘んじた。ダンスはその後も牡馬混合レースに幾度も挑戦し、宝塚記念で3着という成績を残した。あのラストの直線の豪脚はまさに男優りであった。 菊花賞は11月に行われる為、遅咲きの馬がこのレースを機に開花するケースが少なくない。この年、菊花賞を征したマヤノトップガンは有馬記念でも征し、実力が本物であることを証明した。一方、ブライアンはついに復帰後3レースで1勝も挙げることができなかった。しかし、ファンは信じていた。あの強いブライアンが帰ってくることを。 そして、時は1996年、GI阪神大章典。5歳馬ブライアンと4歳馬トップガンの直接対決が有馬に引き続き実現した。4コーナーで早くもこの2頭の一騎打ちとなり、ゴール前200mは2頭の激しい叩き合い。まさに歴史に残る激闘はブライアンが首差先着し見事復活を遂げた。あの強いブライアンが帰ってきたのである!3着以下に10馬身以上の差をつけたこのレースは今でも「名勝負」として語り草となっている。
そして迎えた天皇賞(春)。勿論、人気はブライアンとトップガンが分け合った。私も世紀の対決に胸が躍った。そしてレース。密かに期待を寄せていたカネツクロスが予想通り逃げる。しかし、得意の逃げ戦法はGIでは通用しなかった。ブライアンは直線で早目に仕掛けてカネツを捕まえると、反応の鈍いトップガンを尻目に悠々と先頭に立つ。誰もがブライアンの勝利を確信した時、大外から3番人気のサクラローレルが突っ込みブライアンをかわしてゴールした。新たなヒーローの誕生であった。そして、時代は動き出した。 天皇賞(春)を快勝した横山騎乗のローレルは、体は強くなく秋まで休養に入った。 久々のGI奪取が期待されたブライアンは何と次走に高松宮記念を選択。3200mから1200mへの出走は考えられないことであり、人間で言うとマラソンランナーが100m走に挑戦するようなものだった。フラワーパーク、ヒシアケボノ、ビコーペガサスなど短距離のスペシャリストが集うこのレースで、やはりブライアンは前半からのハイペースに着いて行けなかったが、直線だけで4着に入った。そしてこれが彼の引退レースとなってしまった。何か納得のいかない終わり方でもあった。 秋、復帰後緒戦のGIレースで格の違いを見せつけたローレルは天皇賞(秋)で1番人気となった。一方、宝塚記念を征し健在ぶりをアピールしたトップガン、そして、武豊を背に破竹の連勝街道を突っ走るマーベラスサンデーが対抗馬と目された。強豪揃いのこのレースは、最後の直線で後方から追い上げるローレルの進路がふさがった。そして、外から迫るトップガン、マーベラスを抑えて優勝したのは、何と3歳馬のバブルカムフェローであった。2歳時に朝日杯を征し、能力の高さを見せたバブルであったが、故障でクラシックの皐月賞、ダービーは棒に振っていた。そして、菊花賞を回避し選んだ天皇賞(秋)で見事古馬を蹴散らしたのである。バブルはその後も中距離GI戦線で活躍した。 クラシック戦線は、ダンスインザダーク、ロイヤルタッチ、イシノサンデーが早くから高い能力を示し、良きライバルとして競い合っていた。皐月賞はイシノサンデーが征し、2着に敗れたロイヤルタッチ、故障で皐月賞を見送ったダンスインザダークがダービーで雪辱を誓うが、何とレース3戦目の音速の末脚・フサイチコンコルドが勝利をもぎ取った。結局、タッチはその後も実力がありながらGIを取ることはできなかった。私も好きな馬だった為に残念なことである。 菊花賞は、直線で最後方にいたダンスが驚愕の末脚を見せ、他馬をゴボウ抜きし悲願のGI勝ちを達成した。あの直線の末脚は今思い出しても背筋が凍りつく。私が知っている数あるレースの中で一番の「脚」だったと言っても過言ではない。しかし、これを最後に彼は怪我で引退してしまった。フジキセキもそうであったが、これからもっと強くなる可能性を秘めている馬が怪我で引退してしまうのは本当に惜しい限りである。 暮れの有馬記念。天皇賞(秋)で不運にも3着に敗れたローレルは雪辱を誓っていた。按上の横山も天皇賞(秋)で敗れたのは自分のミスだと責めた。そして、ローレル、トップガン、マーベラスの3強が再び対峙した。マーベラスに騎乗する武には秘策があった。直線の追い比べではローレルに分がある為、早目に先頭に立って追撃を振り切る戦法に出たのである。しかし、ローレルの能力を信じて騎乗した横山は慌てず、見事マーベラスをゴール前で抜き去り栄冠を手にした。サクラローレルは文句なくこの年の年度代表馬に選ばれた。 1997年は古馬戦線において心に残る数々の名勝負があった。 まず天皇賞(春)。有馬以来の休み明けとなるが、古馬最強の称号を手にしたローレル。前哨戦の産経大阪杯で、圧倒的な強さを見せたマーベラス。同じく前哨戦の阪神大章典を後方からの競馬で勝利し、自在性を身に付けたトップガン。この3強が最後の激闘を展開した。私はおそらく最後のレースとなるであろうトップガンに密かに期待を抱いていた。成績にムラがある為にいつも評価が別れるが、ブライアンなき後、競馬界を引っ張ったのは間違いなくトップガンであり按上の田原である。 そして注目のレース。トップガンは前哨戦と同じく後方待機の戦法を取った。有馬とは異なり、休み明けのローレルが早目に仕掛ける。そしてそれを追うマーベラス。有馬とは全く逆の展開だ。直線で両者のすさまじい叩き合いが展開された。そこへ大外から矢のように猛然と飛び込んでくる馬がいた。トップガンである。先を行く2頭が止まって見えるような勢いでゴールを駆け抜けた。 トップガンが引退し、ローレルが休養に入った後の宝塚記念では、マーベラスがバブルガムフェローの挑戦を退け、悲願のGIを勝ち取った。しかし、マーベラスも休養に入り混沌とした古馬戦線に割って入った牝馬がいた。前年のオークス馬・エアグルーヴである。私は彼女の2歳時の「もみじステークス」を今でも鮮明に覚えている。後方で両側を他馬に挟まれながら進路をこじ開け、驚愕の脚を使って差し切ったのである。普通の馬なら、一度ブレーキがかかってしまうと良い脚は使えなくなるが、この馬は違った。勝負根性がものすごいのである。 そして迎えた1997年・天皇賞(秋)。グルーヴは中距離界の王者バブルガムフェローを抑えて勝利を納め、続くジャパンカップでも外国馬の2着に入りトップガン、ローレルがいない古馬戦線を牝馬ながら牽引した。そして牝馬ながらこの年の年度代表馬に選ばれた。 一方、3歳馬は皐月賞を逃げ切りで勝利した低人気のサニーブライアンは皆からフロックだと言われたが、ダービーも力強い逃げ切りで勝利し世間をアッと言わせた。その後、故障で引退してしまったのが残念であるが、実力は本物であったと私は確信する。菊花賞は実力がありながら結果が伴わないメジロブライト、シルクジャスティスが人気を集めたが、前哨戦を勝利して勢いに乗るマチカネフクキタルが距離を克服して勝利した。戦前では血統から長距離は無理だと言われたが、田原のじっくり脚をためてラストの直線で爆発させる理にかなった作戦で栄冠を手中に納めた。このように乗り方次第では距離を克服することも可能である。 海外馬が参戦するジャパンカップではNHKマイルカップを征した3歳馬のエルコンドルパサーが快挙を成し遂げ、その後の活躍が期待されたが、故障といつも隣り合わせだった。また翌年は海外に照準を絞るのであった。暮れの有馬記念はエアグルーヴと復帰したマーベラスサンデーの一騎打ちだという見方が強かった。しかし番狂わせが起こる。直線で2頭が叩き合う中、外から3歳馬・シルクジャスティスが交わしたのである。クラシックで善戦するものの、不器用でGIを勝つことができなかったジャスティスが初めて光り輝いた瞬間であった。一方、1番人気のマーベラスはグルーヴをハナ差押え2着を死守し、そして引退した。 1998年春、4歳馬メジロブライトは人気を集めながら1勝もできなかったクラシックのうっぷんを晴らすべく天皇賞(春)に挑んだ。前年、有馬記念に出走できず、その無念をステイヤーズステークスで10馬身勝ちという結果で払拭した彼は、この天皇賞(春)でもライバルのジャスティスを抑え初のGIを手にした。 この年の古馬戦線はレベルは高くはなかったが、マイル戦線では「怪物」と言われる馬が誕生する。タイキシャトルである。彼はマイル以下では無類の強さを見せ、何と仏GI含む短距離GI4勝をあげた。そして同時に、重賞8連勝という金字塔を打ち立てた。また、その勝ち方も他馬を圧倒する走りで、強すぎて面白味に欠ける程だった。そして、彼は文句なくこの年の年度代表馬に選ばれた。 そして、圧倒的なスピードで重賞を連勝し宝塚記念も征したサイレンススズカも忘れてはならない。彼も「怪物」と呼ばれその後が期待されたが、天皇賞(秋)のレース中に故障を発生し引退してしまった。無事ならおそらくGI3勝はできたであろう。 3歳牡馬戦線では2頭の名馬が登場する。グラスワンダー、スペシャルウィークである。 スペシャルウイークは武を背にダービーを征したが、皐月賞、菊花賞ではセイウンスカイの逃げ切りに敗れてしまった。特に、セイウンの菊花賞で見せたレコード勝ちは圧巻で、影をも踏ませないその走りはあのミホノブルボンを彷彿とさせるものであった。暮れの有馬記念。古馬のメジロブライト、エアグルーヴを抑えて、3歳2冠のセイウンスカイが1番人気となったが、何と勝ったのは同じく3歳馬のグラスワンダーであった。彼は2歳で朝日杯を征し頂点に立ったが、その後怪我に泣かされクラシックを棒に振った。そして、復帰後3戦目で見事掴んだ栄冠であった。 有馬記念は他の長距離GIレースとは違って紛れがあるのは確かである。理由は中山競馬場が小回りで且つ直線に坂がある為、馬の適性による所が大きいからである。それ故、人気薄が来る確立も高くドラマが生まれるのである。牝馬で古馬の頂点を極めたエアグルーブは引退し、時代は次の世代へと移っていった。 |
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