貧しい家庭に生まれた少年がいた
10歳で学校をやめ お菓子や果物を売り歩いた
家計を助ける為だった
15歳で父親が死んだ
泣くことはできなかった
悲しむ暇もなかった
ただ働くしかなかった
そして
ただボールを蹴るしかなかった...
彼の傍にはサッカーボールしかなかった
彼にはサッカーだけが希望であり夢であった
彼は後に栄光の“10番”を背負った
彼の名は「リバウド」という
を愛する皆さん、そしてサッカーを愛する皆さん、こんにちわ。私が「サッカー評論家」こと「浪花の夏男」です。この2002年の夏、「夏だ!」「
だ!」と騒いでいる場合ではありません。21世紀初のワールド・カップが日本で開催されたのです。ペレ、ジーコが背負ったブラジルの10番はリバウドが背負い、見事その重責を果たしました。4年前、決勝でフランスに大敗した時、その責任の矛先はすべてリバウドに向けられました。そして、今回の予選でのブラジルの不振も彼のせいにされました。ジャイアンツの「4番」以上にブラジルの「10番」は国民の期待を背負っており、常にプレッシャーとの闘いとなったはずです。そして、この大舞台で期待通りの活躍を見せ、見事ブラジルを5度目の優勝に導いた彼はセレソンの顔と言っても過言ではありません。
W杯....
様々なドラマと感動を与えてくれる世界最大のスポーツの祭典。決勝戦は世界で40億人の人々が観ると言われています。まさに地球最大のイベントと言ってもいいでしょう。以下、この「W杯」そして「サッカー」というものの魅力について長々と語らせてもらいます。(え〜まさっかー、こんなに長いとは!!)
思えば、サッカーとの出会いは小学校5年生の時、友人の薦めで「キャプテン翼」をTVで見た時であった。
翼くんと若林のライバル対決。岬くんと翼くんのゴールデンコンビ。そして、華麗過ぎる程のシュートの数々。ブラウン管の向こうには輝かしい程の光を浴びた彼らの姿があった。彼らと同じ年代ということもあって、すぐに「キャプテン翼」、そして
「サッカー」というものにのめり込んでいった。
それまで、スポーツというと野球と剣道しか知らなかった私にとって、サッカーは新鮮なものであった。学校の休み時間にはサッカーが流行り、よくドライブシュートやオーバーヘッドキックなどを真似たものだ。世間においても、「キャプテン翼」が
俗に言う「サッカーブーム」の火付け役となったのは皆の知るところである。
中学生になると、ますますサッカーにかける情熱は高ぶっていった。クラス内ではサッカーが流行り、休み時間、そして家に帰った後もサッカーに明け暮れた。少々の雨が降っても雪が降っても嵐になっても苦にしなかった。授業中もチームのフォーメーションやシステムを考えた。
まさに毎日がサッカー三昧であった。
ポジションは中盤をすることが多かった。今で言う「攻撃的MF(トップ下)」である。センスがあったのか体が覚えたのか、ゴール前に飛び込むポイントを心得ていた。飛び込むとそこにボールが来て、ゴールを量産できた。サッカーはなかなか点が入らないスポーツである為、このゴールした瞬間は格別であり、そしてますますサッカーに魅了されていくのである。
ただ私が通っていた学校には残念なことにサッカー部が無かった。これが後の人生を大きく変えた。