サッカーというスポーツは非常に“シンプル”なスポーツである。

 手を使わずに相手のゴールにただボールを入れれば良い。シンプルが故に世界で最も人気のあるスポーツである。やっと歩けるようになった幼児に向かってボールを転がすと、幼児は必ずといって良いほどボールを「蹴る」。この「蹴る」という行為が 人間の"本能"であり、その"本能"の競い合いがサッカーなのである。

 そしてこの「蹴る」という行為に人種の差はない。貧富の差も関係無い。ボール1つあればどこでもできる。例え仲間がいなくとも、グラウンドがなくとも、ボールを蹴る行為は一人でもできる。サッカーの競技人口が多い理由はここにある。そしてそ れが、サッカーが愛され、最高のスポーツとして位置付けられる由縁なのである。

 そして、その世界最高のスポーツ「サッカー」の頂点を決めるのが『サッカーW杯大会』である。

 「W杯」との出会いは中学2年の時だった。その年(1986年)に「メキシコ大会」が開催された。サッカーが好きになって初めてのW杯である。初めて見る世界のスーパースターの競演、そして真剣勝負。そこではまさに国と国の代理戦争と呼ぶにふさわしい熱戦が展開されていた。

 以下、各大会を振返る。

 

 1986年 <メキシコ大会>

 マラドーナのプレーが世界中のサッカーファンを魅了させた大会である。

 特に印象に残ったのは準々決勝の「アルゼンチンvsイングランド」。マラドーナは手でボールを押し込んだ。これは明らかに「ハンド」であったが、「ゴール」と誤審された。後に物議を醸したが「ゴッドハンド(神の手)」と呼ばれ後世に伝えられ た。また、同じ試合でマラドーナは伝説に残る「5人抜き」を披露した。ボールがまるで足に吸い付いているように、イングランドのDFを次々と抜く姿は圧巻で、マラドーナはあの王様ペレの再来と呼ばれた。

 ステップの効いた柔らかいドリブル、ノールックのスルーパス、得点感覚、どれをとってもマラドーナは超一流であった。決勝では西ドイツに2-0とリードしながら追いつかれるが、最後はマラドーナのスルーパスで決着が着いた。

 初めて見るW杯は感動と驚嘆の連続であると同時に、「マラドーナ」というスーパースターにただ溜め息をつくだけであった。この大会でW杯の素晴らしさを教えてもらった私は、4年に1度のこの大会が待ち遠しいものとなった。

 

 1990年 <イタリア大会>

 私が高校3年の夏、受験勉強の真っ只中に開催されたのがイタリア大会である。勉強に一段落つけ、深夜にTVに噛り付くのが日課となった。

 前回優勝のアルゼンチンが、開幕戦で新鋭のカメルーンに敗れるという波乱で大会は幕を開けた。マラドーナは既に円熟期を迎えており、アルゼンチンの得点は快速FWカニージャに頼るしかなかった。しかし、アルゼンチンは接戦をいくつもモノにし、ついには決勝まで昇り詰めてしまった。これが底力なのだろうか。

 一方、初戦で抜群の身体能力を発揮し、見事アルゼンチンを破ったカメルーンはベスト8まで駒を進めた。アフリカのチームは雑で組織もしっかりしていないが、身体能力は図抜けていた。この快挙にアフリカは沸き、「カメルーン旋風」と呼ばれ大会 を盛り上げた。

 前回、得点王に輝いたイングランドのリネカーはこの大会もゴールを量産したが、惜しくも得点王には届かなかった。その後リネカーは、Jリーグにやって来て、日本にサッカーの面白さを伝えた。

 決勝は前回と同じく「西ドイツvsアルゼンチン」であった。西ドイツは前評判通りの強さを見せ、前回のリベンジを誓っていた。逆境に強いのが西ドイツの特徴であり、「ゲルマン魂」と呼ばれた。そして、見事に1-0でマラドーナ率いるアルゼンチンにリベンジを果たしたのである。

 

 1994年 <アメリカ大会>

 サッカー不毛の地「アメリカ」で開催されたこの大会は、私の中で最も印象に残る大会となった。大学3年生の夏、遊びにバイトにサークルにと明け暮れていた時期である。時間がたっぷりあったので、熱を入れて見ることができた。

 最も注目していたのは、ロマーリオ、ベベットの最強2トップを擁するブラジルであった。この頃のブラジルは、常に優勝候補と呼ばれながら不本意な成績に終わっていた。今大会はサッカー王国ブラジルの再建がかかっていた。

 一方、同じく再建を目指すサッカー強国がいた。イタリアである。前回大会は開催国で優勝を期待されながら、準決勝でアルゼンチンにPKで敗れていたのである。

 基本的に開催国が勝たないと大会は盛り上がらない。スポーツ大国アメリカは、サッカーだけは他国に遅れをとっていた。しかし、1次リーグで優勝候補の一角、コロンビアに歴史的な勝利を納め、見事初の決勝トーナメントに駒を進めた。しかし、独立記念日に行われたトーナメント1回戦では、ブラジルに善戦したものの1-0で敗れた。

 ベテランのマラドーナはアルゼンチンを牽引したが、ドーピングが発覚して大会から退くこととなった。そして、アルゼンチンも敗れ去った。寂しい結末であった。

 イタリアはカテナチオと呼ばれる堅い守備が伝統であるが、今大会も得点力不足に悩んでいた。しかし、それを救ったのがイタリアの誇る国民的英雄ロベルト・バッジョである。決勝トーナメントでは毎試合決勝点を挙げ、奇跡的な活躍をしてイタリアを救った。

 そして、決勝は順当に勝ち上がってきたブラジルとバッジョを中心に背水の戦いを制してきたイタリアがぶつかった。0-0の息詰まる攻防は延長戦でも決着がつかず、PK戦で勝負を決することとなった。イタリアの5人目のキッカーはバッジョ。しかし、無情にもボールは大きく枠の上へ..バッジョのそしてイタリアのW杯は紙一重で準優勝という結果に終わった。

 ブラジルは大会MVPのロマーリオを中心に史上最多4度目の優勝を成し遂げた。

 

 1998年 <フランス大会>

 就職も無事決まった頃、日本が初のW杯出場に燃えていた。しかし、私個人では正直なところ日本の活躍はあまり期待していなかった。世界との差はまだ大きいと感じていたからである。

 案の上、日本は1次リーグで勝ち点さえも挙げることができなかった。これが世界の壁である。しかし、組織的な守備やパスワークは目を見張るものがあった。あとは決定力である。この課題は今日でも日本サッカーのテーマとなっている。

 グループリーグで日本と当たったクロアチアは得点王に輝いたFWシュケルを中心に快進撃を続け、見事ベスト4まで昇りつめた。

 ベルカンプを中心とするオランダは私の最も好きなチームの1つであった。オランダはいつもタレントを多数抱えていたが、なかなか上位には食込めていなかった。今大会は準決勝でブラジルとの死闘に敗れたが、強いオランダを見ることができた。

 そして、決勝に駒を進めたのは、ロナウドを擁し2大会連続優勝を狙うブラジルと指令塔ジダンを擁する地元フランスであった。フランスは決定力不足に悩み、延長戦、PK戦などを辛くもものにしていった。一方のブラジルはサンバのリズムのような爆発的な攻撃力で順当に勝ち上がった。

 ブラジル優勢かと思われたがロナウドの体調不良と、ジダンの2得点の活躍 により、フランスが3-0で圧勝した。ジダンは世界で最も有名なサッカー選手となった。

 

 2002年 <日韓大会>

 待ちに待った日韓共催でのW杯である。

 日本代表には中村俊輔は選出されなかった。日本の左サイドにはドリブルが得意なサントス、ゲームメイクもできる小野、守備の達人服部と好選手が揃っており、最も激戦区であった。俊輔はドリブル、パス、フリーキックとどれも一級品であったがフィジカルは強くなかった。代表から外れてしまったのは世界相手にはフィジカルが必要であるというトルシエの考えなので仕方ないが、個人的には入れてほしかった。2006年に期待しよう。対して、ベテランの中山、秋田が選ばれたのはメンタル面を支えるという役割による。これによって、若手からベテランとバランスの取れた布陣になった。

 さて開幕戦は1990年イタリア大会と同様、波乱の幕開けとなった。前回王者で今大会も優勝候補の筆頭であるフランスが、アフリカで3番手と見られていたセネガルに敗れたのである。ジダンを故障で欠いたが、セリエA、プレミアリーグで得点王のアンリ、ドレゼゲを擁する攻撃陣は今大会屈指であった。フランスはどの試合も完全にボールを支配しながら、ゴールバーに阻まれる不運もあり、結局1次リーグを無得点で終えてしまった。最後にジダンも登場したが、流れを変えることはできなかった。フランスのW杯はあっけなく幕を閉じてしまった。

 Fグループは優勝候補のアルゼンチン、ベッカム擁するイングランド、堅実なスェーデン、アフリカの雄ナイジェリアが入り、「死のグループ」と呼ばれた。アルゼンチンはベロンの不調が響いた。結局、相手を翻弄するような効果的なパスは最後まで出ず、決定的なチャンスを作れなかった。そして、フランスと同様、優勝候補が消え去った。

 Bグループのスペインには注目していた。新婚旅行に行ったということもあるが、スペインは毎回優勝候補に数えられながら不本意な成績に終わっていた。今回はラウールを中心に抜群の攻撃力を見せ、全勝で1次リーグを突破した。こんなに強いスペインを見るのは初めてであった。

 今大会、最も大躍進した国は間違いなく韓国であろう。初戦で初勝利を挙げるとポルトガル、イタリア、スペインと並いるヨーロッパの強豪を次々と倒していった。審判に助けられた部分も多少なりともあると思うが、技術、気力、体力では世界上位レベルであることを証明した。

 韓国と同じグループに入ったポルトガルはフィーゴ、ルイコスタの動きがもうひとつであった。ユース時代からのメンバーで最強世代と呼ばれた今回のポルトガルは、優勝候補にも数えられていたが、韓国戦で2人が退場となりその幕を閉じた。最強世代の最後のチャンスだっただけに残念である。

 優勝候補の一つに挙げられていたイタリアは、今回も躍進を見せること無く終わってしまった。ビエリ、トッティ、デルピエロを擁する攻撃陣、ネスタ、カンナバーロを中心とした守備陣は間違いなく世界のトップレベルであったが、韓国の粘りの前に決勝トーナメント1回戦で姿を消した。しかし、私も審判の判定は韓国よりであったと思う。アウェーだったら結果は違っていたかも知れない。

 強豪国が次々と敗れ去っていく中、韓国、セネガル、トルコ、アメリカは予想を大きく越える活躍をしていた。

 特に準々決勝の「セネガルvsトルコ」戦は今大会のベストバウトのひとつであろう。セネガルはアフリカ特有の身体能力とヨーロッパ仕込みの組織力を兼ね備えた良いチームであった。トルコも中東系の細かいパス廻しと個人技で躍進を遂げた。

 我が日本はトルコに決勝トーナメント1回戦で敗れてしまったが、実力は相手が上であった。しかし、サポーターの声援をバックに勝てない相手でもなかった。ロシア、チュニジアを敗ったのは実力通りであり、4年前に比べて確実に日本は進歩していた。

 しかし、韓国との違いは「勝利へのこだわり」と「監督の経験」だったように思う。日本は決勝トーナメントへ進出して、どこか満足感のようなものがあったように思う。負けている試合では、より積極的に攻める必要があった。次回のW杯はこれらが解消されていることを期待しよう。

 決勝戦は当初の下馬評を覆してブラジルとドイツが当たった。双方とも予選で苦しみ、前評判もそんなに高くはなかったが、1次リーグで相手に恵まれた為に徐々にチーム力を上げていくことができた。W杯史上初の対決は、見事復活を遂げたロナウドがドイツGKカーンの牙城を崩し決着が付いた。

 4年前のフランス大会、ロナウドは極度のプレッシャーから半失神状態に陥ったという。そして大敗。それからは精神的、肉体的にロナウドはスランプになり、グラウンドでの闘いではなくベッドでの闘いを余儀なくされた。

 そして、2002年W杯。彼はピッチに帰ってきた。緒戦のトルコ戦で見事なジャンピングボレーを決めると、リバウド、ロナウジーニョのアシストもあってゴールを量産した。そして、総得点8点での得点王。彼は4年ぶりに復活すると共にブラジルを優勝へ導いた。

今大会はロナウドの大会であったと言っても過言ではないだろう。

 

翼のボールはいつもながら扱いやすいぜっ