ごめんよ、僕が悪かった!

アルバム収録の17曲を何度も聞いた率直な感想である。この人の才能を少し侮っていたようであり、これを真摯に受け止め、反省する今日この頃。

1枚目のソロアルバム「Keisuke Kuwata」は、サザンのポップなノリを踏襲しつつも、シンセサイザーを駆使したカッコいいデジタルサウンドの新境地。そして、せつない夏の情景も描か れている。

2枚目のアルバム「孤独の太陽」は、長渕剛風ハーモニカ&アコギの弾き語りと社会風刺を全面に出したサザンの音楽など微塵も感じられない殺伐感・感傷感の ある作品。

3枚目のアルバム「Rock’n Roll Hero」は、アメリカを意識したノリノリのロックサウンド満載。

そして、本4作目「Music Man」は、ありとあらゆる音楽ジャンルを網羅しサザンとソロの垣根を取り払い、これらを融合し新しい形で表現された作品群。



生物多様性。いろいろな生物が密接に関連し食物連鎖を保って地球上の生物が共存している。それが地球環境保全に貢献している。今回のアルバムの1曲1曲 は、桑田氏が作る様々な音楽が“生物多様性”のように(見かけは互いに適度な距離を置きつつも、実は)密接な関係を築いているようにも思える。と言いなが らもサザンとはやはり一線を画しているとも取れ、しかもこれまでのソロともどこか違う、未曾有の化学変化によって全く新しいものが創造されたような、そん な印象である。
 
昨年末はAKBと嵐にオリコンチャートトップ10を独占され、日本の音楽界は一体どうなっているのか?嵐らを非難する気はさらさらないが、これはちょっと 異常事態である。そんな危惧さえ感じる昨今であるが、渾身の名盤を世間に発表。アルバムタイトルは、“MUSIC MAN”。

“MUSIC MAN” は、工房(スタジオ)にこもり緻密に音を重ねて合わせてコツコツ音楽を作る山下達郎的アプローチの職人でもなく、コンピューターで音楽を大量生産する音楽 製造サイボーグでもない。感情豊かなエンターテイナーが魅了する。真剣に音楽と向き合う監督(桑田氏)とその分身ともいえる17人のエンターテイナー。あ るいは、17人のエンターテイナーを桑田氏ひとりが見事に演じ切る多才な音楽人“MUSIC MAN”である。出で立ち、キャラも全く異なる17人のエンターテイナーが見事なショウを一般大衆に披露してくれる、そんなアルバム。“波乗りジョ ニー”、“白い恋人達”のようなすぐに覚えられるキャチーなメロディーは少ないのであるが、50過ぎた今だからこそ創出できた味わいのある音楽。 “TSUNAMI”のようなせつない夏の曲が好きな人は、ソロ第一弾の「Keisuke Kuwata」を一度聞いてみるとよいだろう。

2001年、誰もがソロとサザンの音楽性のボーダレス化を疑わなかった。しかしこの翌年、シングル“東京”でドロドロした人間の感情の奥底と都会の無常さ を表現し、その年のアルバムではロックに徹した曲作り。全くこの先、何をするか読めないこの芸術性と創造性には誰もついていけない。だからこそ、桑田氏は 唯一自分が敬愛するミュージシアンで、“今が最も旬”であることを証明してくれる。

一見ふざけていうように見えるが、実は真剣に真摯に音楽作りに取り組んでいる。あのふざけた振る舞いは、この真剣さを隠すためのテレ隠しではないか!そん な過去のヒット曲なんてどうでもいいじゃないか!いつまでも過去にこだわるな!と言わんばかり。いまだに、「真夏の果実」や「TSUNAMI」を引きずる のはもうよそう。

20代の頃なら満足しなかったかもしれない、もう少し派手さが欲しいとか。気が付いたら40代に足を突っ込んでおり、いつものキャッチーさ・爽やかさが少 ないが、熟成した音楽もわかるようになった。そして、一生聞けるアルバムに出逢えた感。

ビールのように乾いた喉を潤すために一気に飲み干すのではなく、ブランデーのように音楽媒体を口に含んでゆっくり転がしながら味をかみしめる、そんな楽し み方ができるアルバムである。

ちなみに、今回のアルバムは“ビートルズ”と“昭和調歌謡ブルース”をよく知っている人ならどっぷりはまりこむ内容らしい。これは50代前半の桑田氏と同 世代が、昔むさぼるようにレコードで聞いた音楽が現代風に蘇ったかのよう。これを理解するには、私のようなアラフォーは若すぎるようだ。



17人の俳優が共演しているかのような内容。鬼才、多才、七変化、奇想天外という言葉がふさわしい。サザンという大所帯、ビッグネーム、ブランドから解放 されて自由に音楽と戯れる、そんな姿の桑田氏がここにいる。これまでのサザンやソロでは聞けなかったよう新しい世界を築き上げたようである。うーむ、これ は今までのアルバムとは明らかにカテゴリーが異なる。久保田利伸お得意のブラコンのような曲あり、大阪人の心を謡う浪速調ブルース、優柔不断の某国のリー ダーを歌う社会風刺曲など。良い意味で、長年のファンをも突き放すぐらいの強力なパワーを感じる。俺についてこい!みたいな。

今回のアルバムにより、彼がこれまで作った過去の曲・キャリアは全てリセットされてしまう、というのは言い過ぎだろうか。“昔取った杵柄”なんて言葉があ るが、過去の評価に気を良くして二匹目のドジョウなど狙わず保守的にならず、攻めの姿勢で今回のアルバムではまた違った新しい姿を魅せてくれた。

世の中“プロ”と呼ばれる人たちが素晴らしい音楽を作っている中で、この人ほど個性的なメロディーとこれと見事にからみあった歌詞、そして最も賞賛すべき 点であるが、リスナーの心を捉えて離さない他と差別化させる“歌の表現力”を持つ人はいないと確信する。敬愛するべテランのミュージシアンでさえ、長く積 み上げられたキャリア故か、過去の曲の光と影を引きずり、時折それが新曲に飛び火しマンネリズムに陥ってしまう。そして歌い方が情熱的であっても、なぜか いつもと同じ聞き慣れたトーンとして、耳が自然に認識してしまうのである。

これに対し桑田氏の場合、あの強烈なパフォーマンスによって独自性が増幅されるからか、ほとんどそういったマンネリズムを感じることはない。独特のダミ声 もこれに一役をかっている。奏でるメロディーと共鳴しその波長とぴったり合ったあの声の表情、同一人物の声でありながら、曲によっては全く異なった周波数 として耳が認識するのである。

まだ無名のデビュー当時のザ・ベストテンで“目立ちたがり屋の芸能人でーす!”と意気盛んにそして狂気的に叫んでいたことが、今もなお強烈な印象として脳 裏に焼き付いている。しかしこれは、聞く人を感動と興奮の渦に巻き込むような“渾身のエンターテイメント精神”を見せますよ!という桑田流選手宣誓だった のかもしれない。そしてこのデビュー当時の意気込みは、ブレイクから現在までに作られた数々の曲達が身を持って証明している。この精神が桑田氏が音楽を作 るコンセプトの根底に流れているため、彼の曲が多くの人に絶賛され支持されそして愛されている所以であろう。

美しいだけではダメだ、正当なハンサムでも変化がなければいつかは飽きられる、だから強烈な個性で人々を惹きつけることが必要だ、と言わんばかりに。

さて最後に、この方は“サザン”を今後どうするつもりなのか?について推測するところに少し触れたい。これだけのことを本アルバムでやってしまえば、もは や復活させる動機が見えてこないのでは?と思ったりもしたが。

2008年当時、このままではマンネリズムに陥り良い作品を作ることができない、充電期間が必要、とのことで、無期限活動停止を宣言した日本のビッグバン ド。これまでの実績と栄光の歴史を考えると、たった30年でその幕を閉じていいのか?日本のmajorityはこのバンドに対し、言うまでもなく尊厳なる 価値を見出しているが、かの伝説的バンドとは違って“サザン”は人々に威厳を与えているわけではなく、音楽で人々との距離を縮め我々が親近感が持てる環境 作りに徹している。その結果として、ライブチケット入手にリスナーが血眼になり、ライブ会場は人で溢れかえる。このキャラこそが、このバンドの(他とは異 なる)大きな特長である。

桑田氏はライブではセクハラ発言ありなど一部の批評の声もあるが、音楽人として誠実で嘘をつかず、何よりもファンを一番に考える。従って、我々はバンドの 復活を心待ちにして良いのである。

どういった形でまた復活するのか?
いろいろと興味深いことは多々あるが、今回の桑田氏のアルバムに収められている個性的な曲を見る限り、これまでの楽曲に勝るとも劣らない、より質の濃い音 楽を捻出してくれるであろう。昭和歌謡・湘南慕情・ビートルズ・洋楽ロック、これらの要素がうまく絡み合って融合した和洋折衷な盛り合わせ・日本人の心を つかむ情緒豊かなメロディーにより、日本人として忘れてはいけない“音楽の心”を次の世代にバトンタッチする、そういった役目を担うバンドとしての存在を 今後も世の中にアピールしてほしい、と願ってやまない。


以上

 

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