あれから25年になるのか。。。
つい最近、85年リリースのサザンの2枚組アルバム「Kamakura」のリマスター盤を入手した。音がクリアーで音質アップを期待してのことである。そ もそも、このアルバムは一体自分にとってどんな存在か? 夏一色と思っていたサザンの音楽は、これ1枚を聞くことによって、本当にバラエティに富み幅の広 い音楽群に魅了され、あれよあれよという間にアルバムが創造する世界に引きずり込まれた記憶はいまだに新しい。

“サザンのベスト「海のYeah」は一家に一枚!”などという宣伝文句をよく聞くが、ベストでサザンの音楽の神髄・本質の何がわかるというのか? いや、 わかるはずがない。そんな輩には、オリジナルアルバムを歌詞を覚えるまで聴け〜!と言いたい。聞きこむほどに味のあるアルバム「Kamakura」はそう いう形容がぴったりの深い内容の傑作アルバムだ。

まだ実験的だったデジタルサウンドも取り入れて試行錯誤を繰り返し、莫大な時間を費やした伝説のアルバム。ロックのあとにバラードあり、渋いブラコンもあ り、メリハリの効いた怒涛の45分*2の分量。全ての曲が充実した内容である。残念ながら、サザンの音楽の主たるイメージ、“夏ソング・湘南ソング”はほ とんど収録されていない。だいたいそんな“湘南ソング”なんていうのは、サザンの音楽の単なる一角に過ぎないのだ。ビートルズと昭和歌謡を敬愛する桑田氏 の音楽精神の根底は、やはりロックと歌謡、そしてそれらが絶妙に融合したものなのである。
 
続くTUBEが産声をあげたこの年、こんなにクオリティーの高いアルバムを作ってしまっては、このあとが大変になるのでは?! しかし、これは結果的に は、“杞憂”に終わるのである。その後の86年〜88年の頃の桑田氏の造る音楽は、とてつもないほどのエネルギーに満ちている。
 
Kuwata Bandで“でたらめなロック”をやりたかったと当時言っていたが、サザンではできなかった音楽を作り、翌年の87年には(意外に遅い)初めてのソロシン グル、そして88年にはソロアルバム。個人的に、これ以降のサザンのアルバムはこの“Kamakura”を超えたものはないと感じている。ただし例外あ り。唯一、88年のソロ第1弾アルバム“Keisuke Kuwata”はこれを超えている。それだけ、この80年代後半の桑田氏のエネルギーは凄かった、パワーに満ち満ちていた。あの“ダミ声”も最高に艶が あって、聞き込むほどに味わうことができる、熟成したワインかスルメ、あるいはたっぷり出汁の効いた蟹ぞうすいのような。
 
気になる中身は。。
デジタル世界に翻弄され奴隷と化した当時の子どもたちを風刺した“Computer Children”(ファミコンも当時はブーム)、森山良子の“この広い野原いっぱい”のパロディで独特のリズムと奥行きのある打ち込み主体の“真昼の情 景(このせまい野原いっぱい)”、1フォークソングシンガーへの熱い憧れ・情熱と激励の意をこめた“吉田拓郎の唄”、初恋の甘酸っぱさがいっぱいの“鎌倉 物語”、超カッコいいアップテンポのハードロック“怪物くんの空”、湘南の夕陽が海に滲む青春ソング“夕陽に別れを告げて”、エロス全開で放送禁止用語満 載の“Brown Cherry”、しなやかな黒髪が妖艶なフェロモンを放つ女性を描いた“Long-haired Lady”。

決して同じパターンの曲はない、“桑田佳祐”という天才が保有するポテンシャル、才能の全てをさらけ出したナンバー群。エロスと音楽に対する情熱が見事に ミックスし、極上のロック&ポップスを満載したアルバム“Kamakura”。
 
この完成された音楽を作ってしまった後、サザンは一体これ以上どこへ進めばよいのか、と桑田氏は考えていたのではないか(あくまで推測だが)。桑田氏の奥 さんの出産、というのが表向きの次の年のサザン活動休止の理由ではあったが、実は桑田氏はこのアルバムでバンドとしてのやりたいことはやった、ここで一区 切り、という意味合いもあり、ソロ活動に踏み切ったのではないだろうか。そして、新たな一面・新境地を自身の音楽キャリアに見出すことを求めたのではない だろうか、と思う。
 
バブルを得てCD売上全盛の90年代、サザンの活動はそれほど目立たないものとなってしまった、とも取れる。90年代初頭はドリカムやチャゲ・アスの台頭 を許し、続いてミスチル、B’zなどミリオンヒットを連発するミュージシアンの登場、オダテツ系のZardやWandsがメキメキと頭角を現し、夏は TUBEに取って代わられつつ、90年代半ばにはTRFを筆頭に小室ブームが一気に過熱、さらにはGlayやラルクなどの次世代を担う若手が後を追いかけ る、世紀末には“モー娘。現象”も。
90年代の10年は、強豪との戦いを強いられたキツイ10年だったはずだが。。。

と言いながらも、20世紀末の年に“TSUNAMI”でトリプルミリオンを達成、今世紀に入ってもソロでミリオン・シングルを連発するなど、全く勢いの衰 えを見せない人であった。
 
社会に影響力を与える人の音楽は、繁栄を経験する国の経済に似ていると思う。“栄枯盛衰”すなわち、発生から成長・成熟・安定・頭打ち・衰退・復興を経験 し、また同じサイクルを繰り返す。80年代後半の桑田氏の業績は、昨今上り調子で飛ぶ鳥を落とす勢いのインドや中国のように計り知れない力を持っていたよ うだ。音楽自身が放つエネルギーに他者が圧倒され、他を凌駕するような存在であった。インドのように計り知れない可能性を秘めた音楽媒体がとどまるところ 知らずに拡張し、バブルの破裂は時間の問題かと思わせるほどのパワーに満ちていた。
 
しかし今現在、既に豊かなモノであふれて供給過多になった日本経済のように、現在のサザンの音楽に対しては“十分に満足感で、もうお腹いっぱい”という感 があることは否めない。また、“ソロ”での音楽と“サザン”での音楽の境界線も(21世紀に入ってからは)曖昧になってきており時折画一性が見られ、二者 間には、過去にはっきり見られたアイデンティティの差が希薄になっている。また一般社会情勢として、世間が音楽に対してハングリーではなくなってきている ようである。音楽を得る媒体が多様化し至る所で入手できるようになり、需要と供給のバランスが完全に崩れているようだ。このような状況の中で、今後我々が “サザン”に求めるものは何か?
 
なんて書いてしまったが、サザン/ソロの境界なんて今さらどうでもいい、この方のパフォーマンスを見ることができれば。2010年末の紅白は何か月ぶりか の姿だった。完全復活! 普段目の前にいる人が突然姿を消してどこかに行ってしまう、それがこれほどショッキングなことだったとは正直、思いもしなかっ た。ぽっかりと心に鉛の弾丸で風穴を空けられたように。もうこの人の音楽なしでは生活が成り立たなくなっている、そんな自分にあらためて気づかされたそん な数カ月だった。
 
一見“デタラメ”でふざけすぎているとも思える破壊力のある曲、真髄のロック魂を感じる曲、人々の心の奥にしみる名曲も作り、この人の頭の中はどうなって いるのか? が、ピカソや岡本太郎は奇抜な絵を描き、エジソンは誰も思いつかないとんでもない疑問や発想を抱いて周りを驚かしたにもかかわらず、その後の 人生でその作品が絶大な評価を得たのと同じく、“異才”“鬼才”と言われる人は、普通人の想像をはるかに超える計り知れない表現力を持っているのであろ う。優れた音楽家は世界に星の数ほど存在するが、その優れた音楽家がそのパフォーマンスで恩着せがましく“音楽の優等生”ぶられても“芸術家”ぶられて も、見ている方は面白くない。例えそれが正当な芸術だったとしても。
 
それよりも、突拍子もない表現、聞いているモノに飽きが来ない新鮮なものを提供する創作魂や独創性、そして幅広い音楽ジャンルに大変寛容でそれらをミック スした独特のメロディ、ロックと言えども洋楽的なメロディに偏らず日本人が昔から心から愛してきた歌謡も融合させ“日本人が音楽を愛する心”を大事にする 思いやりと心行き。これらに我々は心を打たれ、そして今後もそれを渇望するのではないか。故に、これらを考慮すると、昭和の歌姫“美空ひばり”に継ぎ、昭 和・平成をまたにかける“日本のKing of Pop”としてこれからも日本の音楽界の第一線に君臨し“国民栄誉賞”に一番近い人かもしれない。
 
今後世の中に発表されるであろう作品群(まずは2月のニューアルバム)と今後のますますのご活躍・パフォーマンスに期待を膨らませつつ、25年前に発表さ れた2枚組“Kamakura”をはじめとする過去の作品群にも、あたらめて今、深い敬意を表したい。
 
以上

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