今年、25周年を迎えたTUBE。
25周年を迎えたバンドは他にも存在するが、1年足りとも活動(アルバム、ライブ)が途絶えなかったバンドは、TUBEを除いて他には存在しないだろう。 ギネスものである。
しかしながら、“湘南”や“納涼”のようなアルバムはもう作れない、“Summer City”のようなシングルも作れない、という声も確かにある。 これは全否定できない点である。
そもそも“音楽”という文化は、消耗品である。ある意味では“使い捨て”である。
時代のトレンドや世間の一方的で勝手な興味や関心・想いに対し、エンターテイメント媒体は非常に脆く敏感で危うい存在である。 それが時代にマッチしなくなり支持者が減れば、それは簡単に忘れられて、人々の記憶の隅に埋没する。 健康ブームで買ったが、結局ブームが去って使われなくなった健康器具と同じ運命を辿る。
そしてまた、スターというのは、いつの時代においても、当然、そのライトアップのされ方はその時代に力を持つ支持者(消費者) の意向、好み、価値観、趣向のなされるままである。これもスターであるが故の運命(さだめ)。
しかし、真髄のTUBEファンなら、そんな扱いをTUBEに対してするはずがない。
彼らの心の中には、TUBEの音楽に対する、鋭く一貫性のある“普遍性”という観念を持ち、時代の一過性・一時的なトレンドに左右されることなく、 自分の信念・ポリシーを固く保持している。
これに応えてバンド“TUBE”も、毎年新しいことやファンが求めるものを提供してくれる。 お決まりかもしれないがこの店に行けばいつもの味を食べさせてくれるというお約束事、 一種の“あ・うんの呼吸”あるいは“暗黙の合意”の下で契約書を交わさなくても提供されるサービス、 ファンのTUBEへのひたむきな想いに対するTUBEの敬意が物理的な形として存在する。
これが、まさしく“野外ライブ”である。
1年に1回ではあってもコミュニケーションの場として、双方のベクトルを合わせることができるこの“野外ライブ”で、 その共感をあらためて認識しあえるのである。そして、これが究極の形として、“無限の夢の追求”につながる。
 
世間の風は、キツイ時もある。
前田はカッコつけてる、女ったらし、女の子にチヤホヤされて調子にのってる、オフはゴルフばかりで芸能人とチャラチャラしている、ライブはマンネリ、 TUBEは夏だけ、などなど。
しかし、春畑氏の天才的なギターさばきと楽曲創造性、前田氏の歌唱力と表現力、メンバー一丸となってのチームワーク、これらに惚れ込んだからこそ、 この25周年を(TUBEの単なる通過点ではあるにしても)ファンが心1つとなって祝福するのがあるべき姿ではないだろうか。 既にアラフォー世代となってしまったファンの主要層は、20代の頃に吸収したTUBE哲学により培われた魂・思想には“普遍性”が存在すると信じたい。 これらは生まれ持ったDNAではなく、時間とともに築き上げられきた結晶、決してモノサシでは測ることができない情熱であり、後天性なDNAである。 これすなわち、自分が育った環境や経験で自然と得られた考え方や価値観(トヨタ社員が入社後に、たゆまぬ改善精神・品質第一・工程内での品質作り込み、 を習得するようなイメージ)である。
自分の置かれた現在の状況や環境によって世間や世の中に対する見方が変わり、 (TUBEを昔は主観的に見れたのに)時間とともに冷静に客観的に見てしまう自分が存在しないか?
 
TUBEが、我々のこれまでの過去に体験した心の傷やトラウマを癒し、そして明日へ生きる活力を与えてくれる・エネルギーを供与してくれ、 どれほどまでに勇気や自信などをもらったかということ、 そして明日への希望や今後の自分の人生に対しポジティブになるためのきっかけを気づかせてくれたことに、感謝すべきだと思うのです。
そして、一度は惚れ込んだ“TUBE”に対する想いについて今一度再認識し、これを我々は忘れてはいけないと思います。
 
私自身、ある時期、周囲にTUBEウイルスをまき散らしていると揶揄されていましたが(笑)、 これはまさしく“千変万化”と例えられるぐらい毎年突然変異を起こし、決してどんなワクチンも効力を発揮することはできません。 まさに、慢性的なパンデミック状態と言えるでしょう。これが毎年何万人もの感染者を恒例の場所へと招き、強いては親子感染をも起こし、 何百万回もの細胞分裂を経て、究極の形として“スタジアムを人で埋め尽くす”と事象を引き起こします。ウイルスが触媒となって、 人々の“TUBEと同化したい”という潜在的な渇望が爆発する瞬間です。
そして、ここから生まれるエネルギーは感染者共通に持つ連帯感・結束感によって、大規模な“心と情熱の津波”をスタジアムに引き起こし、 この衝撃によって、ライブを通して“同士”とも呼べるファン同士の深い絆・一体感を形成し、さらにはお互いを“旧知の友” と呼ぶに値するぐらいの“深い友情”で包まれる空間を生み出します。
まさにこれが、これまで何十年と生きてきた自分の存在価値を認識し言葉に表せない満足感に浸れるひととき、と言えます。
そんな大切な意味(意義)を毎年恒例の夏の野外ライブは、持っていると思うのです。
 
命ある限り、今後もTUBEの音楽を一生愛し続けます、私は。。
 
以上


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