(3)浜省とマイナーコードロック・社会風刺ロック

浜省ロックは“マイナーコードもの”が多い。
これは“TUBE”や“サザン”では聞くことが出来ない“疾走感”と “重量感”がある。しかし、さほど重苦しい雰囲気を感じさせることもなく、堂々たる浜省R&Rが炸裂する。
まだ“ロック”の市民権が十分確立されていなかった80年代初期は、“ロック”は、はみ出しもの・不良・ならず者・落伍者の“心の叫び”、と言ったネガティブなイメージがつきまとっていた。
そして、“ロック”は、社会の不条理、やるせなさ、不平等、不平・不満を歌に託したメッセージ性が強く、捻じ曲がり少し歪んだ音 楽という先入観を持っていた人は多い。従って、“優等生的”なカテゴリーに属する“ニューミュージック ”が好きな人たちからは避けられていた(自分もそうであった)。“オフコース”や“山下達郎 ”、“ユーミン”のような優等生的ニューミュージックとは明らかに境界線が引かれる。
 
60年代はGS全盛、70年代はフォークに歌謡曲が主流。あの時代には、“ロック”が日本の音楽界につけいる隙はなかった。
80年代の時点で、気候変動や地球温暖化を取り上げたものはないものの、核戦争、原子炉事故による汚染、自然破壊、つめこみ教育の歪、非行と十代による犯 罪、家庭崩壊、物質主義、格差社会へのカウントダウン、世の中すべて金、金で世界を支配する、アジアでの日本の不十分な政治的役割など、社会問題を取り 扱った社会風刺の曲が多い。これらが、20年後の今になってもさらに拡大し、社会の歪が膨らみそれが亀裂となって伝播し社会を崩壊させる、あるいは、社会 の不満分子が爆発寸前状態でバブルがはじけるのは秒読み段階。
満たされぬ思い、社会への反抗、一部の者のみが富を独占する歪んだ資本主義、そして利己的かつ自分以外はどうでもいいという自己中心的な現代人。そんな社会に誰がした?
安全さえにもコストをかけないわけにはいかなくなった現在の日本を20年前に予言していたこの人は、やはり教祖なのか???
社会の矛盾に鋭いメスを入れる歌詞には、深い共感と尊敬の念を感じずにはいられない。
経済的に豊かになったが、心は本当に豊かになったのか、という現代人の心の貧困さに対する問いかけなどもある。
社会の本質や裏側を鋭く指摘し、問題を抱える現代人の未来への方向付けを、歌を介して彼の音楽を聞くものたちに、メッセージを送っている。
かの“桑田佳祐”が、男の心には必ず潜在する“スケベ心”を代弁して歌に託しているのと同様に、この人は政治や世相、矛盾などに対する世間一般人の不満を代弁してくれていると思うのである。
そして、未来への警鐘。核戦争は起こりはしなかったものの、公害・環境破壊など人類が行なってきた数々の地球に対する配慮のない悪行の代価を、次の世代が払わされることになる。
国益を優先し、さらに私利・私欲のための違法行為が横行されるアフリカの“ならずもの、悪の枢軸の国家群”、そして昔取りざされ た貧富の差としての南北問題は、潤っている(はずの)先進国の社会の中で“他人事の格差問題”としてクローズアップされている。
 
メッセージソングの1つの例として'83リリースのアルバム「Promised Land 〜約束の地〜」のラストナンバー、「僕と彼女と週末に」。
これは、8分を越える大作。歌い出しは、“この星(地球)が何処へ行こうとしているのか、もう誰にもわからない”。
誰も抑制できなくなってしまった米ソの冷戦のことを言っているのか、それとも高度経済成長により人間味を失い、殺伐とした現代社会のことを言っているのか。意図は浜省にしかわからない。が、言いたいことはなんとなくわかる。しかし、なんという空しい歌い出しの歌詞か。
そして、メッセージは続く。
“子供は夢見ることを知らない”
空しさを噛みしめながら、“いつか子供達にこの時代を伝えたい どんなふうに人が 希望(ゆめ)を継いできたか”
 
昨今のニュースでは、ビルマの軍国主義軍事政権による市民への発砲と武力制圧、言論自由の剥奪など、いまだに軍国主義の戦前の日本のような国が存在することも嘆かわしい。
 
その3へ続く

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