”新曲なのになぜか懐かしい”
桑田氏の曲にはそういうナンバーが多い。2007年のソロ第3弾「ダーリン」は、70年代歌謡曲へのオマージュ的な曲ということらしい。

70年代歌謡曲。。。
 
今から30年前、まだ”レコード大賞”という賞には威厳があり、大晦日の紅白は視聴率70%台をキープしていた懐かしい ”あの頃”。そして、物心ついてから音楽が耳に入り自然と口ずさむようになった”あの頃”でもある。個 人的に、年代を問わず”歌謡曲”と言って思い出すのは下記する曲である。圧倒的に70年代が多い。

(1)メジャーコード
尾崎紀世彦「また逢う日まで」
ちあきなおみ「喝采」
吉永小百合&橋幸夫「いつでも夢を」
太田裕美「木綿のハンカチーフ」
南沙織「17才」
松田聖子「風立ちぬ」

(2)マイナーコード
いしだあゆみ「ブルーライト・ヨコハマ」
沢田研二「勝手にしやがれ」
内山田洋とクールファイブ「東京砂漠」
あみん「待つわ」
山口百恵「プレイバック Part 2」
大橋純子「シルエット・ロマンス」
竹内まりや「駅」

(3)両方(途中で転調)
松崎しげる「愛のメモリー」


もちろん、これらの名歌謡曲群は、先日亡くなった作詞家の阿久悠氏や作曲家の筒美京平氏の功績も当然たたえるべきである。歌謡曲というと、なぜかマイナーコードの曲をイメージする。山口百恵はマイナーコードの曲が多かった。

これまでの桑田氏の曲の中でも、明らかに”歌謡曲”のカテゴリーに入るものは多い。
「恋人も濡れる街角」、「夏をあきらめて」、「東京シャッフル」、「チャコの海岸物語」、「可愛いミーナ」、「匂艶The Night Club」、「夢に消えたジュリア」、「別離」、「涙の海で抱かれたい」、「Hotel Pacific」etc。
桑田氏自身、歌謡曲がとても好きらしくこれらを10代のときに聞いて育ち、それがその後の作品に大きな影響を及ぼしたという。

70年代に一世を風靡した”歌謡曲”も80年代に入ると、フォークから進化したニューミュージック(オフコースやユーミンその 他)やアメリカナイズに洗練されたお洒落でアーバンなシティポップス(山下達郎や杉山清貴&オメガトライブその他)、YMOなどのテクノポップ、 尾崎豊や浜省などのロックが台頭し、音楽界の主席を譲らざるを得ない状況に置かれた。最終的には、パレスチナ難民のごとく行き場所を失い、非常に悲運な運 命にさいなまれることになる。この時流のなすがままに、日本人は本当に”歌謡曲”を忘れてしまったのであろうか。

答えは”No”である。

現在は、よくわからない”J−Pop”と名づけられた、日本で作られた音楽を総括的に捉えた、良く言えばジャンルの 壁を取り払ったようなものとして扱われているが、日本人が本能的に、「懐かしい」とか「これが日本らしい」、と認識する音楽は、何十年経っても基本的には なんら変わっていないと思う。

日本人は年齢に関わらず、”古き良き時代”の70年代歌謡に対して、心の底から親しみを持っている。また、歌謡曲(を作る人は) はこのつぼをよく理解している。言わば、”日本人の心”がそこには存在する。演歌ももちろんそうであるが。演歌は、日本人が ”故郷”に帰りたくなる郷愁を誘うのに対し、歌謡曲は幼き頃のまだ白黒テレビで歌謡ショーを見ていた懐かしい時代(これも、広義 の上では”ふるさと”とも言える)に戻りたくなる、そんな思いをめぐらせる。そして、人々はその思いに駆られる。

新曲「ダーリン」。これは94年のソロシングル「祭りのあと」を思い出させる人間臭さと親しみを感じさせる失恋ソングだ。桑田氏の音楽にはよく出てくる ”横浜”を舞台にしたこれからの季節にぴったりの曲である。決してカッコつけることなく、地のままで歌う50歳のシンガー。

12月に入り、完全に日本中はクリスマスムードにひたりつつある。クリスマスソングを聴くのもいいが、年の瀬が押し迫ったこの時期にこそ、家族がコタツに集まってくつろぎながら歌謡曲を聞いて過ごすのも”粋”なものではないだろうか。
そして、横浜の”埠頭の風”に哀愁を感じながらこの曲を聞くのを夢見て、今夜も眠りたい。。。

以上

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