1.港が見える丘('93 角松敏生)
 93 年に角松がカバー。あまりにせつない歌詞とメロディーに、心を打たれたのを記憶している。2000年発売のベスト版「角松敏生1988-1993」に収 録。調べてみると、なんと、昭和22年の曲で、歌手:平野愛子 作詞・作曲:東辰三。我々の親の世代でも知らないのではなかろうか。
 小高い丘に散る桜の花びら。“桜坂”のような風景は、あなたと二人で来た思い出の“港が見える丘”。 男性シンガーが女性歌詞を歌うと、なぜこうも聞き手をせつなくさせるのか。ほとんど打ち込みで作られたサウンドではあるが、実に心温まるメロディー。桜舞 い散る港が見える丘で、なぜ二人は別れなければならなかったのか? 遠くで聞こえる船の汽笛も、今となっては、私の空虚な心を慰める一助にもならない。今 さら、想い出を掘りかえしたところで何になるの? 夜露と頬をつたっていく涙が一体化して、空気中に消えていく。
 ちらりほらりと散る、桜の一枚一枚の花びらは、まるで私が心で流す涙の分身なのかしら・・・。


2.さくら('03 森山直太朗)
ピアノをやめて四半世紀。やはり、ピアノの音はいい。
 この曲は、ピアノ一本のシンプルな伴奏。ピアノの音は、人の心を無色透明の澄み切った状態にする力を持っている。日常生活で汚れた心も、瞬く間に清浄す る神秘的なパワー。透き通るような裏声で世間をあっと驚かせた森山直太朗。その素朴な歌声は、老若男女を問わず、人々の疲れた心と体を癒しただろう。

 さくらは他の花とは異なり、日本人にとっては神聖な花。さくらの前で は、嘘や偽りを言うことは、日本人なら憚る。どんな花もいつかは散ってしまう。生きとし生けるものは、いつかは死ぬ。そのはかなさとは裏腹に、咲き誇って いるさくら。これは人の一生の縮図とも言える。一種、TUBE野外ライブのアンコールで花火が夜空に舞い散った瞬間がこれに相当するのか。季節ものはこれ だから、わびさびがあって感動的である。
 しかし、さくらは人間の輪廻(リインカネーション)のごとく、散りゆく運命(さだめ)をもってしても、またその次の年には再び同じ枝から芽が出て花を咲 かせてくれる。歌詞にある“きっと逢える”とは、道を異にする友との別れであろうが、一種、さくらとの“しばしの別 れ”ともとれる。さくらの花に問いかけているかのように。永久の友情を誓うには、桜並木の下がふさわしい。この神聖な場所にて、友よ、また逢 おう。


3.桜('03 河口恭吾)
最近、尾崎の「I Love You」をカバー。優しくささやくような声が魅力的。
 アコギとピアノ、ストリングス。この曲のアレンジをなんと賞賛すればいいのか。“ぼくがそばにいるよ。桜舞う季節数え、君と歩いていこう。 ”桜舞う季節の中で二人で歩き出す、というのがテーマで、悲しむ要素はないはずだが、なぜこんなささやき口調でせつなく歌うのか?
 二人で一緒にいるこの何気ない時間が、後になって思うと、実は最高の想い出だったりする。この幸せな時間がいつまでも続きますように、お願いだから終わ らないで、この大切な時間。そんな歌の主人公の切な想いを感じる。桜の木は、そんな二人をやさしく見守っていてくれる。来年も、同じ桜の木の下で、僕と君 がここにいますように・・・。


4.彩〜Aja〜('04 サザンオールスターズ)
 数少ない、サザンの春のうた。個人的に、ハモンドオルガンの音が好きである。桑田氏の優しい歌い方がなんとも素敵で、この人はやはり表現豊かなボーカリストである、とあらためて思う。

 歌の主人公は成人した男性であろうが、想像するに、春の陽気の中で幼き頃の思い出が、ふと心に浮かんだのであろう。少年時代に、いつか訪れたある場所。 遥か遠い昔であるが、友達ではなく、“憧れの初恋の女の子”、彼女と一緒に訪れた想い出の場所。あの頃僕は小学生であったが、彼 女は3月末にお父さんの転勤で引っ越してしまった。結局、引越し先の住所も聞けないまま、音信不通となった。
彼女を乗せたトラックが、沈む夕日の方向へ向かって走っていった。桜の花びらが、斜陽の光の中で春一番とともに、舞い上がっていたなあ。
 そんなほろずっぱい少年時代の記憶を思い起こさせてくれる。季節はずれの海をぼーっと見つめている、誰もいない砂浜。夢ででも彼女に逢えないかな。でも、そのとき僕は、彼女にどんな言葉をかけるのであろうか。


次回につづく


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